猪熊の画業の礎とも言える、20代・30代の頃の創作活動を紐解く「猪熊弦一郎展 画業の礎-美校入学から渡仏まで」が開催
公益財団法人 ミモカ美術振興財団大正後期から昭和初期にかけて、年々戦時色が増す困難な時代にあっても、常に前を向き、未知なる自分の世界をひらくべく真摯に「美とはなにか」を問い続けた、若い画家の探究と気付きの軌跡をご紹介します。
猪熊弦一郎 《夜》 1937年
猪熊弦一郎(1902-1993)は晩年、人の顔や動物、丸や四角、そして何とも呼びようのない抽象的な形など、多様な「形」を一枚のカンヴァスのなかに自在に描きました。異なる形が絶妙なバランスで配置された、明るく伸びや かなこの画風には、素直で前向きで、美をこよなく愛した猪熊の性質がそのままあらわれています。しかし、作品 に本来の自分を出し切ることは簡単ではなく、猪熊がこの表現に辿り着くには長い年月が必要でした。 本展では、東京美術学校入学から、帝展出品時代、新制作派協会設立、渡仏まで、猪熊の画業の礎とも言える、 20代、30代の頃の創作活動を紐解きます。大正後期から昭和初期にかけて、年々戦時色が増す困難な時代にあっても、常に前を向き、未知なる自分の世界をひらくべく真摯に「美とはなにか」を問い続けた、若い画家の探究と 気付きの軌跡をご覧ください。
1.トピックス
1-1.若きアーティストの奮闘
猪熊弦一郎は、当館が果たすべき役割の一つに、若いアーティストの育成を挙げていました。2022年に開始し た公募展「MIMOCA EYE / ミモカアイ」は、この猪熊の考えに沿うものです。第1回展の大賞受賞記念にあた る同時開催の「「第1回 MIMOCA EYE / ミモカアイ」大賞受賞記念 西條茜展 ダブル・タッチ」に呼応し、本展では猪熊自身が20代、30代の頃の画業に注目して、若い画家が独自の表現を探り奮闘するさまをご紹介し ます。
1-2.作品から時代が見える
今回、当館では初出品となる版画作品《射的》は、1936年にナチス政権下で行われたベルリンオリンピックの 芸術競技に出品されたものです。額の裏板には「Ⅺth OLYMPIAD BERLIN 1936 Art Competition and Exhibition」と記載されたラベルが貼られており、当時の記録書からも猪熊が版画部門に出品していたことが 確認できます。本作は、その後廃止されたオリンピック芸術競技の痕跡を示す、歴史資料でもあります。
猪熊弦一郎 《射的》 1936年 寄贈:株式会社みぞえ画廊(東京・福岡)
2.本展のポイント
2-1.藤島武二の指導 「デッサンが悪い」
東京美術学校で、猪熊は藤島武二(1867-1943)のクラスを選択しました。藤島は週に2度教室にあらわれ、どの学生にも「デッサンが悪い」とだけ言って立ち去ったそうです。その言葉を猪熊は自分なりに解釈し、 絵画とは、ものの形をただ写すのではなく、その本質や事象を描くことだと考えるようになりました。当時、日記のように描いていた自画像には、感情を絵にあらわそうとする試みがうかがえます。
猪熊弦一郎 《自画像》 1924年 「落選は解ってるよ」
猪熊弦一郎 《自画像》 1924年 「暑気格別也」
2-2.新制作派協会設立
1930年代、日本の軍国主義化が進むにつれ、美術にもその影響が及びま す。1935年、政府は美術界における挙国一致をめざし、突然、帝展(帝国美術院展覧会)の制度改革を敢行しました。これを機に猪熊は官展と決別します。そして、より純粋に芸術を追究したいと、1936年、小磯良平(1903-1988)ら同世代の仲間とともに新制作派協会を立ち上げ、以後、同会を発表の舞台としました。
2-3.マティスの教え 「お前の絵はうますぎる」
1938年、猪熊は35歳でフランスに渡り、2年間パリで活動しました。滞仏中、巨匠アンリ・マティス(1869-1954)に自作を見てもらう機会を得ます。そのときマティスから言われた「お前の絵はうますぎる」という言葉は、「自分の絵になっていない」という戒めとして猪熊に突き刺さりました。この 経験を起点に、猪熊は生涯を通じて、画家として「本来の自分を描き切るこ と」に邁進するのです。
3.関連イベント
会期中、皆さまにより企画展を楽しんでいただくためのプログラムをご用意しました。
3-1.キュレーター・トーク
本展担当キュレーター(古野華奈子)が展示室で来館者に見どころをお話しします。
日時:2025年2月9日(日)、3月9日(日)各日14:00ー
参加料:無料(別途、本展観覧券が必要です)、申込不要
3-2.親子でMIMOCAの日
高校生以下または18歳未満の観覧者1名につき、同伴者2名まで観覧無料となります。
日時:2025年2月1日(土)、2日(日)10:00ー18:00(入館は17:30まで)
4.出品作家プロフィール
猪熊弦一郎 撮影: 高橋章
猪熊弦一郎(いのくまげんいちろう)1902年 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921年 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業、上京し本郷洋画研究 所で学ぶ。
1922年 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学、藤島武二教室で学ぶ。
1926年 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。以後、1934年まで毎年出品し入特選を重ねる。帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。以後、1934年まで毎年出品 し入特選を重ねる。
1927年 東京美術学校を中退。
1935年 新帝展に反対し不出品の盟を結んだ有志と第二部会を組織、第1回展に出 品する。
1936年 同世代の仲間と新制作派協会(現 新制作協会)を結成、以後発表の舞台と する。
1938年 渡仏、パリにアトリエを構える(~1940)。滞仏中アン リ・マティスに学ぶ 。
1950年 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。
1951年 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。
1955年 渡米、ニューヨークにアトリエを構える。
1975年 ニューヨークのアトリエを閉じ、東京に戻る。冬はハワイで制作するようになる。
1989年 丸亀市へ作品1,000点を寄贈。
1991年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館。 逝去、90歳。
1993年 逝去、90歳。
開催概要
展覧会名:猪熊弦一郎展 画業の礎-美校入学から渡仏まで
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
所在地:香川県丸亀市浜町80-1
会期:2025年1月26日(日)ー3月30日(日)
開館時間:10:00-18:00(入館17:30まで)
休館日:月曜日(ただし2月24日は開館)、2月25日(火)
観覧料:一般 950円(760円)、 大学生 650円(520円)
高校生以下または18歳未満・丸亀市在住の65歳以上・各種障害者手帳お持ちの方とその介護者1名は無料
*同時開催企画展「「 第 1回MIMOCA EYE / ミモカアイ」大賞受賞記念 西條茜展 ダ ブル・タッチ」および常設展「猪熊弦一郎展 立体の遊び」観覧料を含む
*( )内は前売り及び20名以上の団体料
問い合わせ先:0877-24-7755
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
前売り券情報
楽天チケット https://leisure.tstar.jp/event/rlikggm/
美術展ナビチケットアプリ https://artexhibition.jp/ticketapp/
【販売場所(香川県丸亀市)】
あーとらんどギャラリー:0877-24-0927
オークラホテル丸亀:0877-23-2222
おみやげSHOPミュー:0877-22-2400
〈2025年度展覧会情報(上半期)についてお知らせ〉
猪熊弦一郎博覧会
会期:2025年4月12日(土)ー7月6日(日)
大竹伸朗展 網膜(仮称)
会期:2025年8月1日(金)ー11月24日(月・休)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(愛称:MIMOCA)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(外観)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(愛称:MIMOCA)は、丸亀市の市制施行90周年の記念事業として、丸亀市ゆかりの画家・猪熊弦一郎の全面的な協力のもと1991年11月23日に開館しました。
建築家の谷口吉生による美しい建築を丸亀駅前に構える当館は、猪熊本人から寄贈を受けた約2万点の猪熊作品を所蔵し、常設展で紹介するとともに、現代美術を中心とした企画展を開催しています。また、講演会やコンサートなどの多彩なプログラムや、子どもの感性や創造力を育むワークショップなどを開催し、教育を目的とした活動にも力を入れています。
これらの特色は、猪熊と丸亀市とで協議を重ねて作り上げられました。猪熊は、MIMOCAが常に新しいものを積極的に紹介する「現代美術館」であることを強く希望しました。また、自然光を取り込んだ明るく広々とした空間は、美術館に美しい空間を求める猪熊の意思を共有して谷口が形作りました。そして猪熊は子どもが美にふれることを重視し、子どもの観覧料無料や、子どもが造形活動をする「造形スタジオ」の設置などを提案しました。
気軽に立ち寄り、美しい空間でいい作品を見て、新鮮な刺激を受けて心が元気になる場所であることを美術館に求めた猪熊は、MIMOCAのあるべき姿として「美術館は心の病院」という言葉を残しました。猪熊の思いが込められたMIMOCAが、みなさまの「心の病院」となれば幸いです。
アクセス
提供元:PRTIMES