富加町連携セミナー 「織田政権の北方の要 加治田城・津保城を考える」を開催します

2024/09/18  岐阜県  

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富加町連携セミナー 「織田政権の北方の要 加治田城・津保城を考える」を開催します

記事ID:0388673 2024年9月18日更新 岐阜関ケ原古戦場記念館 印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示

? 岐阜関ケ原古戦場記念館(以下、記念館)では県内市町との連携事業を実施しており、今回、富加町と連携したセミナーを下記のとおり開催します。
本セミナーでは、織田政権の北方の要とされる加治田城や津保城と、その地域史の重要性について、富加町、関市、及び本年8月に開催された第48回全国高等学校総合文化祭・郷土研究部門(歴史・考古部門)にて最優秀賞を受賞した岐阜県立関高等学校地域研究部が連携して行った調査研究について紹介します。

1 開催日時 令和6年11月2日(土曜日)13時30分から15時00分(開場13時10分)

2 受付場所 記念館3階セミナールーム(不破郡関ケ原町関ケ原894-55)

3 内容及び講師
中濃の要衝であった加治田城が織田方に内応したことをきっかけとして、永禄8年(1565)に織田信長による東美濃攻略戦が始まりました。最大の激戦地は富加町夕田にある堂洞城でした。これに勝利した信長は、2年後に岐阜入城を果たし美濃を手中におさめます。加治田城はその後、斎藤道三末子で当時は信長の馬廻衆だった斎藤新五の居城となり津保城(関市)なども拠点としながら、北方の上杉氏との交渉や浅井・朝倉氏や武田氏に対する織田政権の北方の要の役割を果たしました。
これらの城と地域史の重要性について富加町・関市・関高等学校地域研究部で積み重ねてきた調査研究をご紹介します。

発表者 島田 崇正(富加町教育委員会 文化財専門官) 「織田政権と加治田城」
森島 一貴(関市文化財保護センター 学芸員) 「遺構からみた津保城」
岐阜県立関高等学校 地域研究部 「東美濃三ヶ城とは」

4 定 員 100名 ※応募者多数の場合は先着順

5 参加費用 無料(別途、記念館への入館料が必要となります)

6 応募方法 応募フォームまたは往復はがきでお申込みください。
【応募フォーム】
https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp/news/p6309/<外部リンク>(記念館公式HP)
【往復ハガキ】
〒503ー1501
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
岐阜関ケ原古戦場記念館 富加町連携講演会担当者 宛
※氏名、住所、電話番号、申し込み人数(1枚で2人まで可)を記載してください。
※1枚のハガキで2人まで応募できます。
※申込人数が2人の場合は、2人目の氏名を記載してください。
※往復はがきでお申し込みの方は10月25日(金曜日)必着でお申し込みください。

7 申込期間 9月18日(水曜日)から10月27日(日曜日)まで

記者発表資料 [PDFファイル/256KB]

チラシ [PDFファイル/588KB]

このページの内容に関するお問い合わせ先

岐阜関ケ原古戦場記念館(代表)
不破郡関ケ原町関ケ原894-55 電話番号:0584-47-6070 FAX:0584-43-0420

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