アジアの多様な集団から世界初の免疫細胞アトラスを作成

2025/04/04  国立研究開発法人 理化学研究所 

2025年4月4日

理化学研究所

アジアの多様な集団から世界初の免疫細胞アトラスを作成

-アジア系集団の「健康な」免疫細胞のベースラインの確立-

理化学研究所(理研)生命医科学研究センター 遺伝子制御回路研究チーム(研究当時)のジェイ・シン チームリーダー(研究当時、現 遺伝子制御ゲノミクス研究チーム 客員研究員)、遺伝子制御ゲノミクス研究チームのヂョン-チョウ・ホン チームディレクター、トランスクリプトーム研究チームのピエロ・カルニンチ チームディレクター、センター長室の安藤 吉成 高度研究支援専門職らの国際共同研究グループはアジア免疫多様性アトラス(AIDA)コンソーシアム[1]に参画して、世界で初めて、1細胞分解能でのヒトの血液中の免疫細胞に関する多国間調査を実施することによりAIDAを作成しました。

本研究成果は、アジア系集団の遺伝的多様性に関する洞察を提供し、アジア人の疾患リスクの層別化、診断基準、治療目標の決定に貢献すると期待されます。

これまでのゲノム研究は、主にヨーロッパ系集団を対象としていたため、他の集団における遺伝的バリエーションについては十分に理解されていませんでした。本研究の成果によってアジア系集団特有の遺伝的変異に関する貴重な知見を得ることができ、アジア系集団における免疫の多様性の理解を深めることが期待されます。

本研究は、科学雑誌『Cell』オンライン版(3月19日付)に掲載されました。

アジア免疫多様性アトラス(AIDA)の概要

背景

人の体は、祖先(遺伝的背景)や年齢、遺伝、性別、環境、生活習慣などの影響を受けるため、細胞の特徴や発達、病気への反応が異なります。例えばヨーロッパで効果的な診断方法が、アジアでは十分な効果を示さないことがあります。しかし、その仕組みはまだ完全には解明されていません。公平で個別に対応できる医療のためには、こうした違いを正しく理解することが重要です。

遺伝的背景の調査は遺伝データベースに基づいて行われます。ただ、2021年の遺伝データベースの約85%は世界人口の割合のうち、約15%のヨーロッパ系の人々のデータのため、ヨーロッパ系の人々に偏っており、遺伝データベースに基づく研究もヨーロッパ系の人々に偏っていました。

遺伝的背景などによって血液中の免疫細胞の特徴が異なることが知られています。この相違を、いろいろな診断マーカーなどとして利用されることが期待されています。例えば、血液中の免疫細胞の割合は、結核やHIV/AIDS(エイズウイルス/エイズ)、白血病や全身性エリテマトーデス(難治性の自己免疫疾患)などの疾患の診断マーカーとして利用されています。また、CD4+T細胞の一種であるCD4+Tナイーブ細胞[2]サブタイプの割合は、C型肝炎ウイルスに感染している患者や全身性エリテマトーデスの患者で低下していることが報告されており、診断マーカーとして使える可能性が示唆されています。

そこで、国際共同研究グループは、アジアを含む多様な集団のデータを収集して遺伝データベースをつくり、遺伝的背景などによって異なることが知られている血液中の免疫細胞の特徴について理解を深めるために、アジアを含む多様な集団のデータを反映したAIDAの作成に挑みました。

研究手法と成果

AIDAコンソーシアムは、シングルセルゲノミクス技術[3]を用いて、アジア5カ国に住んでいる625人の健康な提供者の血液由来の免疫細胞1,265,624個のプロファイリングを⾏いました。

そして、祖先(遺伝的背景)、年齢、性別が免疫細胞の特徴にどのような影響を与えるかを解析し、アジアの「健康な」人々の免疫細胞のリファレンス情報を示して、アジアの人々の異常や疾患リスクを予測する基準値の元となるAIDAを作成しました。

解析の結果、遺伝的背景が異なる集団間における血液中の免疫細胞の特徴をいくつか見いだすことができました。タイに住む提供者の血液では、白血球の一種である単球の割合が平均的に低く、韓国に住む提供者の血液では、自己免疫疾患に関与する白血球細胞である制御性T細胞(Treg)[4]の割合が非常に低い(図1)ことが分かりました。

図1 制御性T細胞(Treg)と自己申告の民族情報との相関

全ての集団の提供者ごとのCD4+ T細胞中の制御性T細胞(Treg)の割合を示したボックスプロットであり、韓国に住む提供者において、Tregの割合が非常に低いことを示している。SG:シンガポール、p:統計上の有意差。

韓国に住む提供者、シンガポールに住む中国系・マレー系の提供者では、CD4+Tナイーブ細胞の細胞サブタイプについて年齢による変動傾向に違いが見られました。一方で、日本およびタイに住む提供者では違いが見られませんでした。CD4+Tナイーブ細胞の細胞サブタイプのレベルが、健康な提供者であっても、自己申告による民族情報や年齢によって異なることを発見しました(図2)。

つまり、CD4+Tナイーブ細胞のレベルを診断マーカーとして使用する際には、遺伝的背景などによりCD4+Tナイーブ細胞サブタイプの割合が異なるため、自己申告の民族情報と年齢の両方を考慮して診断する必要があることが分かりました。

図2 CD4+ Tナイーブ細胞と自己申告の民族情報・年齢との相関

CD4+Tナイーブ細胞の割合と年齢の関係を示した散布図であり、韓国に住む提供者、シンガポールに住む中国系・マレー系の提供者では、CD4+Tナイーブ細胞の年齢による変動の傾向に違いが見られた一方で、日本およびタイに住む提供者では違いが見られなかった。

これまで、日本人コホート[5]を含む過去のヒト集団の研究で、特定されてきた疾患の原因となる可能性がある遺伝子変異について、AIDAはこの遺伝子変異に影響を受ける細胞タイプや遺伝子の候補も示しました。例えば、関節リウマチに関連する遺伝子変異「rs2230500」は、日本人の提供者にも見られ、東アジアでは一般的ですが、非アジア系集団ではまれです。本研究で作成したAIDAは、例えば、低酸素応答遺伝子であるHIF1Aや、病原体に対する免疫反応に関わるB細胞サブタイプなどが、「rs2230500」に影響を受ける遺伝子や細胞タイプの候補であることを示しています。

今後の期待

本研究で作成したAIDAは、アジアの集団ごとの「健康な」人々の免疫細胞のリファレンス情報を示すことで、アジアにおける免疫の多様性の理解を深めるとともに、アジアの人々の疾患リスクの層別化、診断基準の精度向上、治療の個別化を可能にすることが期待されます。また、より正確で効果的な医療介入につながる可能性があります。さらに、アジア集団に特有の遺伝的変異に関する貴重な知見が得られたことから、ゲノム研究における多様性の重要性を示しました。

遺伝的背景が異なる集団間の血液中の免疫細胞の相違は、疾患感受性の違いを理解するのに役立つと期待され、関節リウマチなどの自己免疫疾患の発症率に関するさらなる研究を促進する可能性があります。詳細な免疫表現型と異なる集団間での疾患発症率を組み合わせて分析することで、疾患をよりよく理解し、治療する手助けになることが期待されます。

補足説明

  • 1.アジア免疫多様性アトラス(AIDA)コンソーシアム
    日本、シンガポール、韓国、タイ、インドの5カ国の研究者から成るコンソーシアム。理研が中核機関として参画している、国際的なヒト細胞アトラス(HCA)コンソーシアムの一部であり、HCAアジアネットワークの主要プロジェクトの一つ。HCAコンソーシアムとは、人体を構成する全ての細胞の包括的な参照マップを作成し、人間の健康に関する理解を深め、病気の診断、モニタリング、治療を促進することを目的とする国際的な研究コンソーシアム。現在、104カ国の約3,900人名の研究者が参画し、本研究成果の発表者であるジェイ・シン チームリーダー(研究当時)およびピエロ・カルニンチ チームディレクターは、HCA組織委員会(https://www.humancellatlas.orgOrganizing Committee)の主要なメンバーである。HCAはHuman Cell Atlasの略。
  • 2.CD4+ Tナイーブ細胞
    初期の免疫反応で重要な役割を果たす細胞で、まだ抗原に触れたことがない、未経験で新たに病原体に反応する準備が整ったT細胞である。これらの細胞が活性化されると、特定の免疫サブセットに分化し、体を感染症や異物から守るために重要な役割を果たす。
  • 3.シングルセルゲノミクス技術
    個々の細胞の遺伝子情報を解析する技術であり、一つ一つの細胞の遺伝子発現を詳しく調べることができる。従来の遺伝子解析方法は、細胞の集団を対象にしていたため、集団全体の平均的な遺伝子発現を調べることしかできず、細胞間の多様性や個別の細胞の特性を把握することが難しかった。シングルセルゲノミクス技術では、個々の細胞の遺伝子発現を1細胞ずつ解析できるため、それぞれの細胞の機能や状態を理解することができる。また、同じ組織内でも細胞ごとに異なる機能や状態があることや、疾患によって異なる細胞の振る舞いや遺伝子発現の変化があることを明らかにできる。
  • 4.制御性T細胞(Treg)
    免疫システムの中で重要な役割を果たす特別な種類のT細胞で、主に免疫反応を抑制する働きを持っており、自己免疫疾患やアレルギー反応などの過剰な免疫応答を防ぐために重要である。免疫システムのバランスを保ち、過剰な免疫応答を抑える役割を担っており、この細胞がうまく機能することによって、健康を維持し、自己免疫疾患やアレルギーの発症を防ぐことができる。Tregはregulatory T cellの略。
  • 5.コホート
    研究の対象とする、患者または健常者などの集団のこと。

国際共同研究グループ

理化学研究所 生命医科学研究センター
遺伝子制御回路研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時) ジェイ・シン(Jay W. Shin)
(現 遺伝子制御ゲノミクス研究チーム 客員研究員、シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)シンガポールゲノム研究所 シニアグループリーダー)
遺伝子制御ゲノミクス研究チーム
チームディレクター ヂョン-チョウ・ホン(Chung-Chau Hon)
トランスクリプトーム研究チーム
チームディレクター ピエロ・カルニンチ(Piero Carninci)
(ヒューマン・テクノポール(イタリア)ゲノミクス研究センター センター長)
自己免疫疾患研究チーム
チームディレクター 山本 一彦(ヤマモト・カズヒコ)
システム遺伝学チーム
チームディレクター 岡田 随象(オカダ・ユキノリ)
(東京大学 大学院医学系研究科 遺伝情報学 教授、大阪大学 大学院医学系研究科 遺伝統計学 教授)
ヒト免疫遺伝研究チーム
チームディレクター 石垣 和慶(イシガキ・カズヨシ)
(慶應義塾大学 医学部 微生物学 免疫学教室 教授)
センター長室
高度研究支援専門職 安藤 吉成(アンドウ・ヨシナリ)

シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)シンガポールゲノム研究所
アソシエイトディレクター シャム・プラバカー(Shyam Prabhakar)
ポスドク研究員 キアン・ホン・コック(Kian Hong Kock)

サムスンゲノム研究所(韓国)
ディレクター ウンヤン・パク(Woong-Yang Park)

マヒドン大学(タイ)
准教授 ワロドム・チャルーンサワン(Varodom Charoensawan)
准教授 ポンパン・マタンカソンバット・チュウポン(Ponpan Matangkasombut Choopong)

ジョン・C・マーティン肝臓研究・イノベーションセンター(インド)
名誉教授 パルサ・マジュムダー(Partha P. Majumder)

研究支援

本研究は、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブSeed Networks for the Human Cell Atlas「Asian Immune Diversity Atlas(研究代表者:シャム・プラバカー、研究分担者:ジェイ・シン、ヂョン-チョウ・ホン)」、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブAncestry Networks for the Human Cell Atlas「Immune Cell Atlas of Asian Populations(研究代表者:シャム・プラバカー、研究分担者:ジェイ・シン、ヂョン-チョウ・ホン)」による助成を受けて行われました。

原論文情報

  • Kian Hong Kock, Le Min Tan, Kyung Yeon Han, Yoshinari Ando, Damita Jevapatarakul, Ankita Chatterjee, Quy Xiao Xuan Lin, Eliora Violain Buyamin, Radhika Sonthalia, Deepa Rajagopalan, Yoshihiko Tomofuji, Shvetha Sankaran, Mi-So Park, Mai Abe, Juthamard Chantaraamporn, Seiko Furukawa, Supratim Ghosh, Gyo Inoue, Miki Kojima, Tsukasa Kouno, Jinyeong Lim, Keiko Myouzen, Sarintip Nguantad, Jin-Mi Oh, Nirmala Arul Rayan, Sumanta Sarkar, Akari Suzuki, Narita Thungsatianpun, Prasanna Nori Venkatesh, Jonathan Moody, Masahiro Nakano, Ziyue Chen, Chi Tian, Yuntian Zhang, Yihan Tong, Crystal T.Y. Tan, Anteneh Mehari Tizazu, Marie Loh, You Yi Hwang, Roger C. Ho, Anis Larbi, Tze Pin Ng, Hong-Hee Won, Fred A. Wright, Alexandra-Chloé Villani, Jong-Eun Park, Murim Choi, Boxiang Liu, Arindam Maitra, Manop Pithukpakorn, Bhoom Suktitipat, Kazuyoshi Ishigaki, Yukinori Okada, Kazuhiko Yamamoto, Piero Carninci, John C. Chambers, Chung-Chau Hon, Ponpan Matangkasombut, Varodom Charoensawan, Partha P. Majumder, Jay W. Shin*, Woong-Yang Park*, Shyam Prabhakar* (* Corresponding authors.), "Asian diversity in human immune cells", Cell, 10.1016/j.cell.2025.02.017

発表者

理化学研究所
生命医科学研究センター
遺伝子制御回路研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時) ジェイ・シン(Jay W. Shin)
遺伝子制御ゲノミクス研究チーム
チームディレクター ヂョン-チョウ・ホン(Chun-Chau Hon)
トランスクリプトーム研究チーム
チームディレクター ピエロ・カルニンチ(Piero Carninci)
センター長室
高度研究支援専門職 安藤 吉成(アンドウ・ヨシナリ)

ジェイ・シン

ヂョン-チョウ・ホン

ピエロ・カルニンチ

安藤 吉成

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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